Khamai Leon ソロインタビュー:bejaーー人生を変えたメンバーの存在「Khamai Leonの形がもし変わったら、僕はもうバンドをやらない」
『What is Khamai Leon?』。これは、Khamai Leonが9月23日(水・祝)に東京・渋谷WWWにて開催する2ndワンマンライブに掲げたタイトルである。「Khamai Leonとは何なのか」。この大いなる疑問を解消するために、メンバーのソロインタビューを実施した。
今回話を訊いたのは、ギターと鍵盤を往来するテクニカルな演奏でアンサンブルを支え、尾崎勇太(Vo,Flu)と共にソングライティングを担うbeja。ソロ活動や赤瀬楓雅(Dr)との音楽プロジェクト・冬派の活動、アーティストたちのサポートも多数務める彼は、本来であれば「バンドなんてやるはずがない」性格だったと語る。幼少期からピアノに没頭し、クラシックの世界で戦ってきたbejaが、Khamai Leonにかける思い。それは、メンバー3人に対する紛れもない愛情と信頼だった。

音楽と向き合っている時だけはスターになれるかもしれない
ーーbejaさんは過去のインタビューで「昔からクラシック一筋で、小さい頃からピアノを習っていて、音大以外の進路は考えたこともありませんでした」というお話もされていましたが、最初に音楽に触れたキッカケは何だったんですか。
親父が好きでずっと流れていたサザンオールスターズを、中にラムネが入っているお菓子のマイクで歌っていた記憶があります。幼稚園でもずっと友達の前で歌っていたし。それくらい自然に音楽が好きだったんですよね。で、親戚の兄ちゃんが「波乗りジョニー」をピアノで弾いてくれたことがあって。それを見て、鍵盤が光るキーボードを買ってもらい、熱中していったのが最初だったと思います。
ーーそこからピアノを習うことになっていった?
そうですね。幼稚園の年少くらいの時に、ピアノを習い始めました。当初はピアノ教室に通う予定だったんですけど、体験入学で授業から脱走してしまって。というのも、「この音を鳴らしてみましょう!」みたいに、1つの鍵盤しか押させてもらえないのが楽しくなかったんですよ。凄く直感的な子どもだったというか、ボタンがあれば全部押したいし、鍵盤があれば全部鳴らしたい、みたいなタイプだったので。それで、いわゆるカリキュラムのあるピアノ教室ではなく、やりたいように演奏させてもらえる街の教室に通うようになりました。
ーーとなると、ピアノにのめり込んだ要因としては、その先生の存在が大きいんですかね。
もちろんそれもあるんですけど、本当に運の良いことに、たまたまピアノの音色だったり、音楽そのものが好きだったんですよね。親父が流してくれたサザンやスピッツを聴いて、「音楽=良いものだ」と思っている中で、ピアノを習い始めることができたので。その結果、クラシック音楽も歌に聴こえたんだと思うんです。それこそ、車の中で親父がサザンを流した後に、僕がフジコ・ヘミングのピアノをかける、みたいなことが当たり前だったから。ピアノって良いな、音楽って良いな、メロディが好きだな、っていう価値観がアップデートされ続けていったにすぎないのかもなと。
ーークラシックというある種ハイコンテクストで捉えられがちな音楽を、ポップスと同じように聴くことができたというか。
そんな気がします。あとは、小学校時代に『のだめカンタービレ』のドラマに出会ったことも決定的な出来事だったのかな。僕はそれでオーケストラという存在を知り、ベートーヴェンのシンフォニーやピアノコンチェルトを知り、真の意味でクラシックにのめり込んでいったので。
ーー「真の意味でクラシックにのめり込んでいった」というのは?
当時、僕は耳コピにハマっていたんですけど、その対象が一気に増えたというか。ドラマで毎週良い曲に出会い、それをひたすら耳コピする。オーケストラパートを弾いて、オーボエの旋律を重ねて……みたいなことを無限にやり続けることができた。純粋にそれが遊びとして楽しかったし、「これならスターになれるかも」と思えたんですよね。どうやら自分には音感があって、音楽が得意かもしれない。50メートルを6秒で走ることはできないけれど、音楽と向き合っている時だけはスターになれるかもしれない。そういう感覚を育んでくれたのが、この時期だったんです。

最終的に全てを1人で司ることができるのはピアノだと思った
ーーなるほど。そこからの音楽遍歴についても訊かせてください。音大という進路も含め、より具体的に音楽で生きていくビジョンが見始めたタイミングはいつ頃だったんですか。
初めて音大や芸大という言葉を認識したのは、小学校6年生くらいだったと思います。それこそ、優しかった先生の元でピアノに熱中していく内に、自然とピアノコンクールにも出場するようになって。表彰されたり、周囲から「凄く才能があるから、将来は芸大かもね」みたいなことを言われるようになるんですよね。その頃には「音楽だったら他のヤツには負けない」っていう優越感もあったから、ぼんやりと「自分は音楽の道なんだろうな」と思っていました。
ーー高校2年生でギターも始められたとのことですが、どういった理由でピアノ以外の世界に目を向けるようになったのでしょう。
ピアノの練習が本格化していく中で、自由がなくなっていったのがキッカケだったと思います。やっぱり囲われることが嫌いだったというか(笑)。そもそも僕は優しい先生の元で好きなように演奏していただけだったので、基礎が全く身についていなかったんですよね。だから、厳しい先生から教わることになって、伸びていた鼻が全部折られた。その結果、中学校では吹奏楽部に入ってトロンボーンを始めるんです。で、高校生になり、音大受験が目前になってくる中で、別の先生にまた鼻を折られる。正確なフォームを叩き込むための練習をひたすらにさせられ、半年間1曲も演奏させてもらえなかったんですよ。
ーー確かに、それは精神的にも追い詰められますよね。
でしょう?僕も耐えられなくなって、次に手を出したのがギターだったという。もうその頃には、吹奏楽の活動を通じてJ-POPやロックバンドに出会っていたから、ある種の逃げ道として他の楽器に触れ始めたんです。
ーー今のお話を聞いていると、ピアノを辞めて、他の楽器に移る選択肢もあったと思うんですよ。にもかかわらず、それだけ苦しい思いをしながらピアノを続けていたわけで。その原動力は何だったんですか。
それこそ、トロンボーンとピアノのどちらで音大に進むかで、中学校3年生の時に初めて悩んだんですよ。……でも、最終的に全てを1人で司ることができるのはピアノだと思ったんです。他人がいないと成立しない、言い換えれば、ソロで生きていくことが難しい楽器は、自分にとって合わない気がしていて。というのも、吹奏楽部に入ったとはいえ、アンサンブルが好きじゃなかったんです。とにかく僕は目立ちたかったから、ソロが楽しかった。その点でピアノは目立つし、どれだけ練習が辛くても耐えられるくらいにはピアノを好きだったから。なので、ピアノの道を選ぶことができたっていう。

本来の性格を考えたら、バンドなんてやるはずがない
ーー「アンサンブルが好きではなかった」というのは凄く意外で。というのも、その後、bejaさんは昭和音楽大学に入学し、Khamai Leonのメンバーとして集団の中で音楽を鳴らすようになっていくわけですよね。ここには明確な方向転換があると思うのですが、なぜバンドに所属することを決めたのでしょう。
んー……どこから話そうかな。まず、高校生の時にバンドに対する憧れが芽生えたんですよね。プレイヤーとしてというよりも、ギターの歪んだサウンドやメッセージ性に惹かれて、CDショップにあるバンドを片っ端から聴いていた。そして何より、ギターが大好きになったんです。あの造形美というか、音には関係ないフォルムがたまらなくて。ピアノレッスンの帰りに楽器屋で1時間くらいギターを眺め、お昼代をこっそり貯金して勝手にエレキを買ってくる、みたいな状態だったんですよ。そういう意味では、ピアノとは別に、一生ギターやバンドが好きだという確信がありました。なので、大学に入ったら、ピアノの勉強をしながら、出会った仲間たちと自由な活動ができたら良いなと考えていて。……ただ、実際には、入学してからもバンドを組むことにならなかったんですよ。
ーーそれは、良い仲間が見つからなかったから?
というより、音大というクラシックを極める環境に飛び込んだ結果、想定よりも勉強にのめり込んでいったんですよね。大学1年生の時点で「ピアノで競争したり、ピアノの先生になって生きていくんだろうな」という確信が芽生えたから、真面目にクラシックをやりつつ、息抜きでギターを弾いているくらいが丁度良かった。バンドマンとして食っていく、なんて考えられなかったですし。
ーーおっしゃっていただいた状態から、Khamai Leon結成に至った理由が知りたいです。
大学1年生の時、尾崎勇太という赤髪の青年に出会ったことが全てだった気がしています。あまり交流があったわけじゃなかったんですけど、彼が藝大入試の伴奏者を探していた関係で、1年生の終わりに初めて音を合わせることになって。その後、大学4年生になり、「バンドみたいなことをやりたい」と声をかけられるんですよね。で、当時を振り返ってみると、ちょうど僕自身も、趣味としてバンドをやる仲間を探していたというか。いくら音大生とはいえ、やっぱり就職をして音楽を辞める人が大半なわけですよ。でも、僕は「プロとして一生音楽をやりたい」と思っている。そういう意味では、音楽にかける熱量が周囲と合わなくなっていたので、プレイヤーとしてリスペクトしている尾崎だったら遊び相手として最高なんじゃないかなと思った。だから、当初は、全然バンドを結成した自覚はなくて。楽器の上手い奴らで集まって、あえてバンドをやってみる。そういうスタンスだったんですよね。
ーー音楽に対する専門性を持った人たちがいわゆるアンダーグラウンドな活動をする場として、Khamai Leonが結成されたと。では、Khamai Leonがバンドになっていったのはどうしてだったとお考えですか。
音楽仲間として以上に、たまたま4人が友達として仲良くなり過ぎたんだと思います。これは最初から分かっていたことでもないし、本当に運命的なもので。色んな場所に旅をしたり、一緒にスタジオに入る中で、「コイツらを失いたくないな」と感じるようになっていった。……正直、「もっと遊びっぽくバンドを続けていこうや」と言うタイミングだってあったと思うんですよ。それぞれに生活があるし、それこそ僕なんかは縛られるのが嫌なんで、所属する集団をコロコロと変えたっておかしくない。でも、その発想が浮かばないくらい4人でいる時間が尊かった。友達としておもろいヤツが音楽的に見てもおもろいなんて、完璧じゃないですか。だから、僕みたいな人間がバンドを続けられているのは、友達としての魅力とリスペクトできる音楽的な能力や考え方を持った3人が、奇跡的に揃ったからに過ぎないんです。
ーーbejaさんにとって、Khamai Leonというバンドは完璧にピースがハマる場所だったと。
そう、怖いくらいに。しかも、そんなにハマったバンドで、『FUJI ROCK FESTIVAL '22』に出れたり、作品を取り上げてもらったりしたら、そりゃやるしかないでしょ。もちろん、大学院を卒業したばかりの時は「こんなことやってて良いのかな」とも思いましたけど、もう激流に呑まれましたね。それくらい彼らと離れたくなかったし、バンドに対する憧れはずっとあったから。
ーー「4人で一緒にいたい」という感情があったからこそ、腹を括ることができた。
そうですね。自分の本来の性格を考えたら、バンドなんてやるはずがないんですよ。けれど、それを無視したいと思わせてくれる人たちに出会ってしまったんで。そういう状態なのにバンドを優先しないのは、自分に対して嘘をつくことと同じなんです。繊細な話ですけど、Khamai Leonの形がもし変わったら、僕はもうバンドを絶対にやらない。結婚みたいなもんなんです。

取材・文=横堀つばさ



